ついつい食べたくなる「歌舞伎揚」、美味しいですよね。
歌舞伎役者が好んで食べていたのが、由来とか?
この記事を読むと、歌舞伎揚の名前の由来を解決できます。
そして、歌舞伎役者をより身近に感じられます。
なぜなら、歌舞伎揚には歌舞伎役者の家紋がデザインされているからです。
記事では、歌舞伎揚の名前の由来、歌舞伎座限定の歌舞伎揚について、ご紹介します。
次に歌舞伎座に行ったあとには、歌舞伎座限定の歌舞伎揚を味わいたくなるでしょう。
目次
歌舞伎揚という名前の由来には、伝統文化への想いがこめられている
「歌舞伎揚」とは、香ばしく揚げた生地にしょうゆタレで味付けした、風味豊かな揚げせんべいのことです。
天乃屋(あまのや)というメーカーが作っています。
歌舞伎揚という名前は、伝統的な演劇である「歌舞伎」と古くから親しまれてきたせんべいの両方の伝統文化を伝えるために命名されたことが由来です。歌舞伎といえば日本の伝統的な古典演劇であり、その昔日本で『芝居』といえば『歌舞伎』のことでした。17世紀の初め頃から、歌舞伎踊りが町民層の人気を集めて発達し、次第に演劇的な完成度を高めていきました。
そして、せんべいは我々の食生活に潤いをそえている幾多の菓子類の中でも日本独特の菓子であり、古くから皆様に親しまれてきました。
そこで弊社では、この両方の伝統文化を伝えようと、せんべいの包装袋に歌舞伎で使用されております定式幕[緞帳](萌葱・柿・黒の三色で構成されている一番代表的な幕)の模様を取入れ、せんべいの一枚一枚にも歌舞伎の家紋をデザインしたものを刻印(画像1)『歌舞伎揚』と命名致しました。出典:天乃屋
歌舞伎揚の名前の由来には、「歌舞伎」と「せんべい」という2つの伝統文化を伝えたい、という想いが込められているのです。
歌舞伎揚の名前と歌舞伎には、直接の関係はない
歌舞伎揚と歌舞伎との間に、直接の関係はありません。
しかし歌舞伎揚には、歌舞伎の伝統に対する天乃屋の想いが詰まっています。
歌舞伎揚は「歌舞伎」の登録商標、意匠登録を取得しています。
歌舞伎揚の名前は、1960年に誕生
天乃屋は、1951年に甘納豆の卸からスタートしました。
そして、歌舞伎揚が1960(昭和35)年に誕生したのです。
2022年の時点で歌舞伎揚には、60年以上愛されてきた歴史があります。
歌舞伎揚は天乃屋の「看板役者」
天乃屋は、甘納豆の製造からせんべい、おかきなどの米菓へと方向転換をしました。
歌舞伎揚は、揚げ物(米菓)カテゴリーでNo.1を獲得しています。
天乃屋の多くの商品の中で、歌舞伎揚は「看板役者」なのです。
歌舞伎揚には、歌舞伎座の定式幕と歌舞伎役者の家紋が使われている
歌舞伎揚のパッケージには、歌舞伎座でおなじみの定式幕(じょうしきまく)がデザインされています。
歌舞伎揚の一枚一枚に、歌舞伎役者の家紋(かもん)のデザインが刻まれています。
以前の歌舞伎揚と比べてソフトな焼き上がりになったため、家紋は少し見づらくなってしまいました。
歌舞伎揚は、歌舞伎役者にも愛されている
歌舞伎揚は、歌舞伎役者にとって馴染みのあるデザインであることから、歌舞伎役者にも愛されています。
市川團十郎さんも、歌舞伎揚ファンのお一人です。
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伝統文化に由来する歌舞伎揚が、歌舞伎座とコラボ
歌舞伎とせんべい、両方の伝統文化を伝えたいという想いが込められた歌舞伎揚は、歌舞伎座のお土産処でも販売されています。
販売場所
- 木挽町(1階)
- はなみち(地下2階)
- かおみせ(地下2階)
- 座・のれん街(3階) など
「歌舞伎座みやげ」のロゴが入った歌舞伎揚は、歌舞伎座の限定商品です。
お店ごとに、扱っている商品が違います。
- 袋 歌舞伎揚(3枚)、ぷち歌舞伎揚(3袋)
- 箱 歌舞伎揚(10枚)
- バラ など
また歌舞伎座限定の商品は、歌舞伎揚以外にもいくつかあります。
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歌舞伎座限定の歌舞伎揚で、伝統文化を五感で味わおう
歌舞伎揚の由来には、「歌舞伎」と「せんべい」の伝統を伝えたいという想いが込められています。
歌舞伎揚のパッケージは、歌舞伎の定式幕(じょうしきまく)のデザインです。
歌舞伎揚は、一枚一枚に歌舞伎役者の家紋(かもん)がデザインされており、歌舞伎役者にも愛されています。
歌舞伎座限定の歌舞伎揚で伝統文化を味わいながら、歌舞伎役者の家紋も見つけてくださいね